あの日。

早いもので、もう16年が過ぎようとしています。

人によっては、まだ生まれていなかったり、歳も小さくて、あまり覚えていないと言う人も多いかもしれません。
 
 
2001年9月11日。

あの日、僕はニューヨークにいました。
 
 
学生としてニューヨークに滞在していたのです。
あの日の朝は、少なくとも僕が起きた時は本当に天気の良い、美しい空でした。

あの頃僕は、毎日テレビでニュースをつけて学校へ行く準備をしていました。
その日、僕は2限目からの日程だったのですが、テレビをつけてしばらくすると、キャスターの人が、
”ワールドトレードセンターから煙が出ている”と緊急のニュースを報じ始めました。

僕の仲が良かった友達数名は、ワールドトレードセンターから歩いて5、6分ほど離れた所に住んでいたので、”学校に行ったら、「大変なことになっているね」なんて話すのかな”なんて悠長なことを思いながら支度をしていました。

そして、そろそろ時間だと思って建物の外に出た瞬間、街の空気がいつもと違うことに気づきました。
文字通り、糸がピーんと張り詰めていて、触れた途端に切れてしまいそうなほどの緊張感に溢れていた。

その状況を一言で表すならば、”怖い”でした。
 
デリやカフェの前を通っても、テレビがあるところは皆ワールドトレードセンターの件を映していて、
皆がその動向を知るべく、不安そうな面持ちでテレビに夢中になっていました。
 

僕はといえば、授業を3回欠席すると単位を落としてしまうという厳しい学校だったので とりあえず学校へ向かったものの、最寄りの地下鉄の駅を出ると、人が街に溢れていました。
 
いつもと明らかに違う雰囲気と状況が続き、学校に着けば入り口のドアに貼り紙が貼られていて、2時限目以降は休講とのこと。

この状態なら仕方ない、と思っても、正直、一体何が起きているのかがわからずのままで、どうすればいいのか正直わかりませんでした。
会社勤めの人たちも各々のオフィスビルから出てきてはいるものの、その頃には電車も止まり、車もタクシーもほとんど走っていない状況。
結果、文字通り、人が道に溢れていました。
かろうじてバスは数台走っているのを見ましたが、満員でこれ以上は乗れない状態。
向かう先も、アップタウンのみという状況でした。
 
仕方なくタイムズスクエアまで歩き、そこにあった椅子に少し休もうと思って腰掛けていた僕。

何をしていいのかもわからず、とりあえずタバコを吸ってしばらくしたら、突然急に背後から”Oh my god…”とか、”Noooooo….”と悲鳴とも聞こえる声が。
 
タイムズスクエアに映るジャンボトロンには、煙にまみれたワールドトレードセンターが映っていました。
 
リプレイで人がツインタワーから落ちている映像が映り、しばらくすると煙にまみれて何も見えなくなった。
 
すぐにワールドトレードセンターがある方向を見ると、いつもならツインタワーが見えていたその先には、ジャンボトロンと同じように灰色の煙の塊があった。
 
一つ一つがショックでしかなくて、苦しくて、悲しくて、もう、何がどうなっているのか、全くわからないままでした。
 
そんな中、人の流れが北に向かっていくので、僕は何もわからないまま、その流れに乗って歩くしかなかった。
ワールドトレードセンターからタイムズスクエアまでは距離もあるため、粉塵にこそまみれることはなかったけれども、とにかく北へ向かうことが、自分たちの安全を守る方法だと感じて、皆と同じように北へ歩いていました。
 
途中、友達のことが心配で電話をしても、全然つながらない。
 
正直、こんなに怖いって思ったことは一度もありませんでした。
 
しばらくすると、携帯が鳴りました。
それは、ボストン近郊に住む妹の友人からの電話でした。
僕の安否を心配して電話をしてくれたようなのだったけれど、何度も電話をかけてくれていたみたいで、
”ああ良かった、やっと繋がった。無事ですか?本当に、くれぐれも気をつけてくださいね。”って言ってくれた言葉が、こんなに心強い、ありがたいと思ったことはなかった。

歩いてやっと自分の住む部屋に着いたけれど、その夜は怖くて眠れませんでした。
あんなに長い夜を感じたことはありませんでした。
これから何が起きるんだろう?と、不安で仕方なかった。
 
ろくに眠れぬまま、ニュースやラジオを見聞きしていたけれど、不安な気持ちや怖さは一向に治まりませんでした。
 
翌日、何か支援できることはないかと調べて、住んでいるところのすぐ近くにある赤十字に献血に行こうとしたら、すでに物凄い行列ができていました。
その列に並んで、1時間ほど自分の番を待っていたけれど、インフルエンザの予防接種をその4、5日前に受けていた僕は、献血ができませんでした。
正直、献血すらできないのか、と自分を責めました。
 
他の方法で支援することもできたから、その後、本当にごく僅かで申し訳ないぐらいだったけれど、寄付金を送ったり、必要とされていた物資を寄付したけれど、
でも、自分の無力さというか、こんなことしかできない自分が悔しかった。
 
 
その頃、ラジオで流れたいたマイケル・ジャクソンの”Heal The World”
もともとマイケル好きの僕だったけれど、この曲がこんなに切なく、そして心に響いてきて、今でもこの曲を聴く度に、当時のことが蘇ります。
 
 
 
 
しばらくして、規制区域が14丁目からカナルストリートまで下げられた時、僕はソーホーまで足を運んでみました。
ソーホーは、僕にとって憧れの地です。いつか住んでみたいと思っていました。
 
でも、その時は、道が白く灰で覆われており、
人通りもなくゴーストタウンのようになった憧れの地域を見て絶句しました。
 
ニューヨークの空の上には戦闘機が飛んでいて、戦地がニューヨークに限らずとも、これから戦争になるんだ、と、その状況を肌で感じ、ものすごく怖く感じました。
 
さらに日が経ったのち、友達の家を訪ねた時、駅から出てすぐにあるワールドトレードセンターには、むき出しになった鉄骨が見えて、夜にも関わらず照明が煌々と照る中、ファイヤーマンやポリスの皆さんが行方不明者の捜索と残骸の撤去に頑張ってくださっていました。

その後も何度か、友人宅を訪れたけれど、その度に目にした残骸とその場を照らすライト、そしてそこで働く方々の動きを含むその場の光景が、今でも脳裏に焼き付いています。
 
 
 
あれからもう、16年も経ちます。
今ではグラウンド・ゼロも、きれいに整備され、公園やメモリアルモニュメントやミュージアムが建てられています。
 
でも、僕自身は未だに当時の光景が鮮明に焼き付いていて、この日が来るたびに、辛いのです。
発作のように、苦しさや悲しさや、辛さが襲ってきて、涙が止まらなくなります。
9.11を題材にした映画も、数年前にやっと見れるようになりましたが、それでも発作のような症状は消えません。
 
そして、学校を卒業後も、ニューヨークを訪れる機会は何度かあったけれど、グランドゼロを訪れるのはものすごく勇気が必要で、
その度、僕にはその勇気がなく、なかなか足を運ぶことができませんでした。
昨年、やっと勇気を振り絞って訪れたグランドゼロとそのミュージアムではありましたが、やはり僕にとっては言葉にならない程辛い場所でした。
ミュージアムの奥底にある当時の状況を垣間見れる展示は、僕には当時をそのまま思い起こさせるようで辛かった。。
 
幸いなことに、現地近くに住む友人を含め、僕は自分の家族や友人、知人を9.11で失うことはありませんでした。
それでもこれだけ悲しく辛いのだから、9.11で実際に大切な人たちを失った方々の気持ちは、正直、想像もつきません。
でも、少なくとも、皆勇気を振り絞って前に向かおうとしている方々に敬意を持って、自分も前に向かわないといけないな、と心から感じます。
 
同じ都市にいて、亡くなってしまった方々と、生き延びることができた自分。
そう考えると、考えすぎかもしれませんけど、生かされた、と考えても良いのではないかと思うし、もしそうであるのなら、生きている意味を全うしなければ、と思うのです。
 
 
 
 

僕は、この件について、これまでまだ一度も書いたことがありませんでした。
そして、もう少しで、またその事件が起きた時間が訪れます。
アメリカも、大統領が変わり、いろいろと国内で支障や問題が起きていることは聞く一方で、
僕は国際情勢やアメリカ国内に限らず、日本国内ですら十分な状況把握ができているかと言えば、そうでないのけれども、
それでも一つだけ願うのであれば、このような経験をする人たちが、アメリカ国内だけでなく、世界中でいなくなる日が1日も早く訪れることを願うばかりです。
そして、9.11をはじめとする数々の無残な出来事の中で亡くなった方々のためにも、自分がすべきことを精一杯取り組もうと思います。
  


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